2007年07月12日

自分にやさしくするってどういうこと?

薬の多飲以降、失語状態は続いています。

落ち着かなくて、過食気味になったり買い物依存が復活し始めたり。



自分を労わる、やさしくする、自分を大切にするって

どういうことなのか、教えて欲しいです。



散歩をすることがそうなのか。(免許がないからいつも歩いてます)

早起きすることがそうなのか。(だったら不眠で寝ていないので

私はいつも自分にやさしいです。ぐらぐらになるくらい優しいです)

掃除がそうなのか。(体の弱い私には困難な労働です)

食に関心がないけれど、何か食べることがそうなのか。(苦痛です)

空を見たり植物を見るのがそうなのか。(見て、何が楽しいの?)




わからないんです。




私は、親に、都合のいいときだけ認められてきました。

親の思い通りになっている時は「自慢の娘」

親に逆らったり思い通りにならない時は「死ねばいいのに」

目の前で兄が虐待を受けているのを見せ付けられながら。

それは脅迫以外の何ものでもなく。


私は、小学校になる頃には、「自分の意思」を潰されていました。




親元を離れ、嫁いだ今。

主人の<都合のよいようにしなければ>認められない、という

不安が根強くあります。頭では違うとわかっていても、

<心>が恐怖にとりつかれているのです。

無条件に愛されたことがないから、<無条件>がわからない。

何らかの条件を満たさないと自分自身を評価できない。

(他人のことなら許せるのに)

それも、乗り越えたいトラウマのひとつなのです。






問われたのでここではっきりと答えます。

<私には、「自分の考え」を構成できる環境はなかったのです>。


過剰ですね、という言葉にも、素直に頷きます。

<だから障害者手帳を交付されたり、病院通いをしているのでは

ないですか!!>




でも、

他人に完璧を求めている、と言われたことについてはノーです。

<自分に>完璧を求めているのです。

だって、親がそう求めていたから。

親が亡くなっても、染み付いた習性は残っているから。

だから苦しいんです。それを取り除きたいんです。

だけど、どうしたらいいのかわからないのです。




本当に私が他人に完璧を求めているのなら、

例えば、途中まで書きかけた作品を放り出している人間に対して

最後まで書き上げろ、としつこくしつこく迫っているでしょうね。

書けない時もあるよ、なんて容赦したりしませんよ。




私は、病院や医師や心理士が私を治してくれるとは本当には

思っていません。自分を治せるのは自分しかいないから。

最初に欝の大発作を起こしたとき、私は自力で治したから。



でも、

どうしていいかわからないときに、専門家の手を借りたいと思うのは

いけないことなのでしょうか?

それは過剰なことなのですか?



あなたは、病気のときに医者を頼るのを過剰だと思いますか?



もしそう思うのなら、きっと私は<オカシイ>んです。

心を病んでいるのは事実ですし、それも認めましょう。





ただ、このブログは私が人に表立って言えない弱音を吐き出したくて

設けた場所なので、「ここでも弱音を吐くな!」といわれてしまったら

それこそ心の排水溝がなくなるのです。

それがどういうことかは、お察し下さい。






オカシイ頭で書いたので読みづらい記事になってしまって御免なさい。
posted by 緑色 at 14:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 心の病気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私が死んだら困る人が居るから。

呂律も回らなくなるくらい、ふらっふらになるくらい

たくさん薬を飲みました。





誰かに期待したり依存したりする

私の中の醜いわたしが死んでいなくなるように願って

こころの自殺。





私が死んだら主人が悲しむから。きっと。

主人も傷つきながら精一杯生きているのだから。





レボトミン、たった10錠くらいしか飲んでいないのに

(あと薬の山を適当にざらざらと3日分)

精神的問題からか、失語状態になりました。
posted by 緑色 at 01:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 心の病気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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